4/24,4/25 土日
土曜は講義を終えて現アのサークルの集会に顔を出して、いろんな話をした後に帰宅し、親とご飯を食べに行った。
部屋であった時に「寂しくなかった?」や「もっと部屋が汚れているかと思った」と言われて、自分がいわゆるホームシック的な感覚を日常の中で抱いてなかったことに気づいた。
きっと無いわけじゃないんだけど、生活の中でこのゴミをいつ捨てよう・・・とかタオルの洗うローテーションがわからない・・・とか課題を今日中にやらないと・・・だとかそういう日常のタスクに追われて感じる暇が無かったのかなと思った。
後は自分は想像力が乏しいというか、考えて悲しい気持ちになることを考えないようにしてる節があるかもしれない。何の言い訳にもならないんだけど。
ただ、それでも寂しい気持ちになるのは「またね」って言って二人が飛行機で帰るときで。
そのとき、また会おうと思ったら今日や明日にでも会える「またね」と、頭ではわかっていて遠く離れてしまうことやその他もろもろの寂しさが伝わる「またね」の違いが雰囲気や表情から伝わってきて、「そうか、ママは寂しいんだな」とこっちが寂しくなる。勿論言葉でも伝わっている。
普通は自分が寂しいから寂しいとなるのかもしれないけど、親しい人が寂しいんだと実感すると寂しさがわいてくる。いや、どちらかというと気付くの方だった。寂しいということもまた教えてもらっているなあと感じる。
もっと土日の間でいろいろなことを思った気がするけど、書ききれない。
ただ、
文章にすると言葉よりたくさん思いを伝えられる気がする。
文章で書いている間は思いは保留できるし、Enterを押すまでは相手に伝わることも無いから取り敢えずで書いていられる。また、公開するを押すときは何も考えないようにすれば公開できる。もっと読みやすく、もっと気持ちが伝わるように文章が書けたり、話せたらいいなと思う。
おいしい。